運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
20件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1

1966-09-28 第52回国会 参議院 決算委員会 閉会後第6号

これは私はいまの農林開発交換の事例と全く同じだというふうに判断していま場所をお伺いしたのですが、全く場所隣接地で同じだということがわかったので、この問題は新しくこの国土開発株式会社代表取締役上田清次郎この会社との交換について詳細に聞きたいのだが、いま時間がありませんので、これは追ってはっきりしたいと思います。

岡三郎

1966-09-28 第52回国会 参議院 決算委員会 閉会後第6号

岡三郎君 そうするというと、この国土開発株式会社代表取締役上田清次郎と書いてありますこの二カ所の交換について、この時期は同じころですか。隣接地というと、剣山というところは同じで、農林開発は一カ所交換して、他の国土開発に二カ所交換しておるわけです。交換する土地は、こっちは広島のほうの土地を持ってきて交換しておりますからね、どうも似たころに。

岡三郎

1966-07-29 第52回国会 参議院 石炭対策特別委員会 第3号

石炭鉱業審議会の答申に関する件について、参考人に、三井鉱山株式会社社長倉田興人君、三菱鉱業株式会社社長大槻文平君、北海道炭砿汽船株式会社社長原功一君、住友石炭鉱業株式会社社長石松正鉄君、上田鉱業株式会社社長上田清次郎君、三省鉱業株式会社社長塩谷猛君、日本炭鉱労働組合中央執行委員長山本忠義君、全国炭鉱職員労働組合協議会議長松葉幸生君、以上の方々に御出席をいただいております。  

大矢正

1966-07-29 第52回国会 参議院 石炭対策特別委員会 第3号

        小田橋貞壽君    参考人        三井鉱山株式会        社社長      倉田 興人君        三菱鉱業株式会        社社長      大槻 文平君        北海道炭砿汽船        株式会社社長  原  功一君        住友石炭鉱業株        式会社社長    石松 正鉄君        上田鉱業株式会        社社長      上田清次郎

会議録情報

1966-07-29 第52回国会 参議院 石炭対策特別委員会 第3号

参考人上田清次郎君) お尋ねにあずかりました安定補給金は、理由としてはお尋ねのとおりでありますが、先ほども申し上げましたように、安定補給金の百円では、鉄道運賃だけで八十七円、それからいろいろ今後、従来に比べて将来直ちに負担増になるものだけで二百二十二円になります。なお、労賃の七%値上がり、こういうものは年々上がっていくのでありまするから、四十五年度になれば四百円以上上がります。

上田清次郎

1962-03-23 第40回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第18号

○森(清)政府委員 豊州炭鉱事件の処理は、ちょうど私が政務次官になりました直後に私が手がけまして、当時社長社長になりますか会長になりますか、上田清次郎氏とも、再三にわたってその善処方をいろいろと相談いたしました。その結果、一応の解決は見るに至りましたけれども、そのことを国会には報告してないと記憶しておりますが……。

森清

1961-04-17 第38回国会 参議院 決算委員会 第20号

従いまして、その企業経営に当たっている方の資産、信用もむろんわれわれの調査対象となりますけれども、その企業体がどういう工事、どの程度工事を持つか、それからその対象となるたとえば山ですと、どういう程度のスケールのものであるかというのがわれわれの研究のまず対象になるわけでございまして、そういう次第でありますから、ただいまの上田清次郎さんというような場合、上田清次郎さん個人資産が、たとえば三井に匹敵

安永一雄

1961-03-16 第38回国会 参議院 社会労働委員会 第12号

村尾重雄君 先ほどからいろいろとお話があったように、私も御一行と一緒に、いわゆる問題となった五十馬力のコンプレッサー室をば拝見したのでありますが、その前に経営者である上田清次郎氏が私たちにこう語っているのであります。  それは、火のけのないところに、火災の起こる原因のないところに火災が起こった。

村尾重雄

1961-03-14 第38回国会 参議院 商工委員会 第7号

それからだんだん聞いて参りますと、合理化申請、買い上げの申請が、昨年からしてあった云々ということで——事故の前からしてあったということで、この鉱業権者ですか、あるいは鉱業権者代理人が上京されたり、あるいは昨日でありますが、前から言ってあった通産省からの連絡で、上田清次郎氏が上京しておられる。

吉田法晴

1961-03-14 第38回国会 参議院 商工委員会 第7号

そこで、その慎重考究する一つの方法として、上田清次郎氏の上京を促して、先般私は、時間がございませんで、予算委員会も始まる少し前、わずかの時間、上田氏に会いまして、そして私は大体の報告を聞いて、あとは担当の局長におまかせをして別れたわけでありますが、そういう状況でございます。  

椎名悦三郎

1959-06-12 第31回国会 衆議院 決算委員会 第17号

神近委員 私どもは、上田清次郎のために運動した云々ということで、あなたを疑ってはいけないのです。その点は、ほぼ明らかになったと私どもは考える。けれども十河総裁があなたをあれだけ誹謗して、国会に出て対決する、おれは政府委員控室で待っていたのだ、と言っている。私どもは、あなたの立場を守って上げるという立場——あなたはいろいろ疑われているのですよ。

神近市子

1959-06-12 第31回国会 衆議院 決算委員会 第17号

すなわち新聞紙なんかで伝うるところによりますと、田中委員長はこの志免炭鉱の払い下げ問題について、炭鉱業者上田清次郎君の代理として払い下げの陳情に行かれたというふうに伝えられておるようでありますが、そういう事実がありますかどうか。委員長のそういうふうな立場について、運営上重大な問題があると思いますから、その釈明を求めます。

高橋英吉

1959-06-12 第31回国会 衆議院 決算委員会 第17号

吾孫子さんにお尋ねするんですが、あなたの話によれば、あなたが同席しているところで、田中委員長の話をした総裁が、少くともこの上田清次郎氏に対する私憤のことについて、少しも言わなかったことを新聞が書いたんだとあなたは断言をする。これで差しつかえないんですか。そうすると、本問題は、あげてそれを掲載した新聞記者及び新聞の責任である、とあなたは断言してはばからないですか。もう一ぺん、はっきり証言して下さい。

横山利秋

1959-02-13 第31回国会 衆議院 運輸委員会 第7号

久保委員 それで一月の二十二日ですか、先ほどお話があった三井三菱、住友あるいは武内礼蔵氏あるいは上田清次郎氏ですか、そういう方を総裁がお呼びになって今までの経過を御説明になって、こういう内諾書承認書がきた、こういうお話をしたそうでありますが、指名競争入札にお入りになる業者はその業者ですか。どういう業者ですか。

久保三郎

1959-01-30 第31回国会 参議院 運輸委員会 第4号

説明員十河信二君) 昭和三十年十一月に行政管理庁の勧告が発表せられまして、先刻大臣からもお話のありましたように、次ぎ次ぎといろいろな調査会審議会等の意見が発表せられまして、そこで、大手三社及び中小竹内礼蔵君、それから上田清次郎君、こういう方々から譲り受けたいという申し出がありました。けれども、この処置がどうなるか、まだきまっておりませんで、全部その願書はお返しいたしたいのであります。

十河信二

1957-07-03 第26回国会 衆議院 法務委員会閉会中審査小委員会 第2号

そこで、私は福岡県の田川郡採銅所村に石灰石の山を持っておりましたが、その一鉱区を、九州炭鉱経営しておられる上田清次郎さんに、一千五百万円と五百万円がまじってますが、とにかく六千万円で月賦で売った。その金がちょうど一千万入っておりました。それからいま一つほかから取引の金が少し入っておった。千二、三百万あったと思います。

田中彰治

1957-07-03 第26回国会 衆議院 法務委員会閉会中審査小委員会 第2号

これは、吉田先生、まあ人のことはちょっと申し上げられませんけれども、私の家では、金があるときは、――そのことは上田清次郎という社会党の方にお聞き下さればわかるでしょうが、やはり私も何百万円も持っているのだから、ちょっとそういうことを言われると立てかえてやる気になるのです。今度はだいぶしかられたから、今後はそういうことはやらぬようにしますが、私はあなたに言われたように迷惑しておるのです。

田中彰治

1957-07-03 第26回国会 衆議院 法務委員会閉会中審査小委員会 第2号

田中の金が幾らあるか、上田清次郎小切手をたくさんもらっておりますから、住友銀行に先月の二十日のものもございますし、七月の二十日、八月の二十日、来年の一月まで上田清次郎小切手が続いてあるのだから、この点もよくおわかりになったと思う。そうすると、住友銀行の事情のわかった小切手に対し家宅捜索をされ、汚職のような宣伝をされ、私のうちの養鶏所までもみんな調べておる。

田中彰治

1950-09-29 第8回国会 衆議院 通商産業委員会 第14号

なぜかというと、石炭国管問題のときに、石炭国管問題事件がわからないから、どうして彼らを勾留してよいかと考えた結果、金を借りて建てた炭住が二尺五寸、寸法が足りないだけで、九州上田清次郎君その他の人がみな詐欺だと言つて留置され、炭管問題で起訴されていじめられておる。しかしその留置が二箇月以上になつておる。

田中彰治

1948-11-27 第3回国会 衆議院 本会議 第22号

特に、北九州地区のいわゆる旧互助会のメンバーが、北九州石炭株式会社職員とともに総力をあげて活躍したことは顕著でありまして、その運動の指導者ともくすべきものは、竹内禮藏木曽重義原口秀雄上田清次郎、田籠寅吉野見山佐一諸君であります。その他、藤井則文橋上保渡邉正夫田籠勝有吉満諸君等三十数名の石炭業者がこれに協力して活発に動いたと思われるのであります。

武藤運十郎

1948-09-22 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第60号

金一君    田中 健吉君       中村元治郎君    山中日露史君       本田 英作君    宇都宮則綱君       徳田 球一君  委員外出席者         石炭國管問題に         ついて出頭した         証人      松本  勇君                 工藤 三郎君                 原口 秀雄君                 上田清次郎

会議録情報

1948-09-22 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第60号

石田(一)委員 じや、十日前にお会いになつたときには、上田清次郎氏も一緒であつたと思う。それから他にその席に同席なすつた方はありませんか。他の業者でこの國管案反対のために上京していた人で、ちようど十日ほど前にあなたが木曽さんにお会いになつたその席上で、上田さん以上の人でそういう方はいませんか。

石田一松

  • 1